認識の乖離って・・・

2018年05月28日

 

連日、メディアを賑わせている日大アメフト部選手の危険タックル問題。
日大側では、その対応のマズさから問題がますますドロ沼化しているように思われます。

 

監督、コーチから選手に対して悪質プレーの指示があったかどうかという点では、「言った」「言わない」の状況になってはいますが、プレー中とプレー後の状況をネット等で見る限り、少なくとも監督、コーチがあの危険なプレーを容認していたことは間違いないと思われます。

 

日大側は「監督、コーチの指示と選手の認識の間に乖離があった」という見解を出していますが、この見解の不誠実さについては世間で言われるように噴飯ものだと思います。
一方で、指示する人と指示される人との間の認識の乖離という点では、日大アメフト部だけでなく会社や政治の世界でも組織と呼ばれる所ではどこでも起こりうる問題であって、特に企業で起こる不祥事の背景には少なからずこの問題が潜んでいると思われます。

 

不正会計や品質データの改ざん等々、上層部からの指示が上層部自身も気がつかないほどのプレッシャーになって部下に伝わる。部下は指示を全うするためにルールを逸脱したことまでやってしまう。上層部はルールを逸脱しろとまでは言っていないから「指示はしていない」と答える。

 

小さいながらも組織をあずかり指示を出す立場である我が身に照らし合わせてみると、自分が社員に話していること、指示していることは自分の意図通りに社員に伝わっているのか、「鶴の一声」になって変な圧力をかけてはいないか、社員同士の真っ当な議論を妨げてはいないか、それが会社として間違った行動を導いてしまっていないか、大変気になるところです。

 

そのような組織の弊害を防ぐのは、組織の中に必ず存在する上下関係の中にも、フラットな、あるいはボトムアップ的なコミュニケーションが日常的にできる環境なのだろうと思います。組織における各自の立場、役割をわきまえながら、各自を思いやってコミュニケーションすることで、悪い意味の「忖度」とか「空気を読む」ということではなく、良い意味の「阿吽の呼吸」で真のチームワークを実現したいものです。

 

そんなことを考えながら、この問題の行く末が気になる今日この頃です。